12月3日、野菊を尋ねて高知市五台山にある県立牧野植物園に行ってきました。
およそ6ヘクタールの園内では、博士にゆかりのある植物を中心に約1500種類の植物が、
季節ごとに色とりどりの花を咲かせています。
画像は五台山からの高知市街
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五台山には四国霊場第三十一番札所竹林寺や五台山の中腹には伊達騒動の主役、
独眼流政宗の末子で三万石の一ノ関藩主であった伊達兵部宗勝が眠っています。
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竹林寺を舞台に芽生えた純信とお馬のよさこい節の恋物語。
画像は植物園から見た竹林寺五重塔
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純信とお馬、いつしか二人は恋仲になり、ある日、純信は、
はりまや橋のたもとでサンゴのかんざしを買って、お馬に贈りました。
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正門から本館までの間には土佐の植物生態園があり、
四国山地から足摺や室戸の海岸までのいろいろの植物を見ることができる。
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本館から展示館への通路にはオオツワブキが。
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展示館では博士の一生や博士が描いた植物画などが展示されており、
中庭には牧野富太郎ゆかりの植物も。
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人の一生で、自然に親しむことほど
有益なことはありません。
人間はもともと自然の一員なのですから、
自然にとけこんでこそ、
はじめて生きているよろこびを
感ずることができるのだと思います。
自然に親しむためには、まずおのれを捨てて
自然の中に飛び込んでいくことです。
そしてわたしたちの目に映じ、耳に聞こえ、
はだに感ずるものをすなおに観察し、
そこから多くのものを学びとることです。
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富太郎の生活・・・・経済苦のなかで・・・・
私は来る年も来る年も
左の手では貧乏と戦い
右の手では学問と戦いました
「植物と心中する男」より
たまたま展示されていた珍種のナギノハヒメカンラン
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草木への愛・・・・うけつぐもの・・・・
人生まれて酔生夢死ほど
つまらないものはない。
大いに力めよや、吾人!
生きがいあれや、吾人!
何よりも貴き宝持つ身には
富も誉れも願わざりけり
「牧野富太郎自叙伝」より
ナギノハヒメカンラン
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富太郎26歳のとき、壽恵と結婚。
富太郎が使う研究費は膨大で、
やがて佐川の生家は破綻、次々と生まれた
13人の子供と研究のためにかさむ負債を抱え
壽衛の苦労は並大抵ではなかった。
しかし、「道楽息子を一人抱えているようなもの」
といって、献身的に富太郎の研究を支えた。
壽衛は昭和3年54歳で死去した。
富太郎は昭和2年仙台で見つけた新種のササに「すゑ子笹」
と命名し、「世の中のあらむ限りやすゑ子笹」
と句を詠み、永遠の感謝を捧げた。
家守りし妻の恵みや我が学び
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ダルマギク
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吾川郡吾川村川口(現仁淀川町)の道ばたで明治17年発見、命名されたノジギク
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シオギク
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アシズリノジギク
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シマカンギク
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うけつぐもの
自らを「草木の精」といった
富太郎の植物一筋の生涯は
多くの人々を植物に誘い
多くの人々を鼓舞した。
植物を限りなく慈しみ
満身の力でその魅力を
伝えようとした
富太郎の精神は
時代を超えて
生き続けるであろう。
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いつまでも生きて仕事にいそしまん
また生まれこぬこの世なりせば
昭和32年1月18日
日本の植物を最もよく知る男
牧野富太郎 永眠。
享年 95歳
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